2017年7月、愛媛県松山にてアーティスト・イン・レジデンス(AIR)に関するフォーラムを開催した。八戸・三陸・金沢・城崎・松山におけるこれまでのAIRの試みをご紹介いただくと同時に、ご参加くださった松山を拠点に活動されているアーティスト・企画者・行政の方からの声も集めながら、松山での未来のAIRの在り方について考える「場」となった。
プログラム第1部:4地域での様々なAIRプログラムの在り方を紹介
八戸/三陸/金沢/城崎
*敬称略、発表順
【八戸:大澤苑美】八戸市まちづくり文化推進室 芸術環境創造専門員
アートのまちづくりに取り組む人口23万人の八戸市より、大澤苑美さんにお越しいただいた。主にご紹介いただいたのは2005年に八戸市と合併した人口約5,500人の過疎高齢地域である旧南郷村(現南郷区)での「南郷アートプロジェクト」(2011年〜)について。これはアートで地域の魅力を再発見するアートプロジェクト。森下真樹さんによるダンスとジャズの街中を練り歩くようなパレード、Co.山田うんと島守神楽保存会とのコラボレーション、KATHYと学生による洋服ダンスコレクション、大駱駝艦が八戸えんぶりを習い新作をつくるなど、ダンスを用いて、あるいはダンスと組み合わせてつくられるものが多い。他にも、クジラ漁に出ていたおじいさんたちから話を聞いて中屋敷法仁さんが演劇作品をつくるというプロジェクトや、閉校になる3つの小学校にひとつずつ映画を残すプロジェクト、南郷に引っ越してきたアーティストと取り組む定住実験プロジェクトなど様々な企画も行なわれている。アーティストが滞在し制作するが、AIRとして行なっているというよりは、AIRの手法を使用したプロジェクトと捉えているそう。加えて、八戸の工場を文化的視点から再発見し、魅力拡大につなげる「八戸工場大学」(2013年〜)などについてもご紹介いただいた。八戸市の特徴は、市長が「文化を地方都市の力に変えたい」という志を持っていること。そして、なんと言っても大澤さんのような専門家を雇用する仕組みがあることだろう。大澤さんは文化施設ではなくて市役所の文化担当の中に籍を置いて仕事をされている。誇りある地域を維持し、発展させていくために必要なこととは何か−−。近年の地方で開催されるアートプロジェクトのように一時的な雇用ではなく、文化を地域に根付かせていく「アートのまちづくり」の試みを伺うことができた。
◉南郷アートプロジェクトwebサイト http://www.nangoartproject.jp/
【三陸:佐東範一】NPO法人ジャパン・コンテンポラリーダンス・ネットワーク理事長/三陸国際芸術祭プロデューサー
東日本大震災が発生して1ヶ月も経たない頃に被災地に向かい、警察や自衛隊、消防、医者、NGOなどやることが明らかな人たちを見ながら、何ができるのかと考え、アーティストがダンスを踊るのではなく、被災された方の“からだをほぐす”ことを目的とした「からだをほぐせば こころもほぐれる」を実施。しかし、結局アーティストが中心になっているのではないかというのがジレンマだった。地元の人が中心となり、外から来る人が関わる方法はないか。そんなときに出会ったのが三陸の郷土芸能だった。東北は、岩手・宮城・福島だけで2000以上の郷土芸能があると言われている郷土芸能の宝庫である。
そして、2013年にアーティストが芸能を習いに行く「習いに行くぜ!東北へ!!」を開始。同年にイギリスのコミュニティダンスの牽引者であるセシリア・マクファーレンさんが三陸に1ヶ月間滞在し、芸能を習う国際AIR事業も開催。支援という形で行くと、支援をされる側は支援をされる立場になってしまうが、芸能を習いに来た、と言うと同じ立場で芸能の面白さを語り合えるのだという。
2014年には、第一に地元の人が輝けることを目指して、「ヒューマン・セレブレーション」とサブタイトルを付けた「三陸国際芸術祭2014」を岩手県大船渡市、陸前高田市、住田町、宮城県気仙沼市にて開催。それ以降、三陸やアジアの芸能、コミュニティダンス、コンテンポラリーダンスなどを合わせた「三陸国際芸術祭」を毎年開催している。被災者と支援者の関係を超えて、地域の郷土芸能の担い手自らが主体となる国際芸術祭を開催することは、郷土や地域文化への誇りや愛着を取り戻し、コミュニティを再構築するとともに、世界に向けて三陸の郷土芸能を伝えていくことになる。そんな壮大なプロジェクトの未来はさらに壮大である。
「2020年の東京オリンピックの際に、“文化オリンピック”のオープニングを三陸国際芸術祭が担いたい。震災からちょうど10年を経て、三陸の人々がこんなに元気でやっているということを地元の芸能、全国の芸能、アジアの芸能、一般の人たちによるコミュニティダンスなどと合体して、未来に向けての大芸能をつくる。2021年以降は、世界の芸能やアーティストが集い交流するAIRの地域として、三陸沿岸部を文化芸術芸能“特区”に。」と語られた。これは現在のAIRという言葉からは想像できないようなAIRの未来でもあるかもしれない。
◉三陸国際芸術祭webサイト http://sanfes.com/
【田口幹也】城崎国際アートセンター館長兼広報・マーケティングディレクター
人口約83,000人の兵庫県豊岡市にある城崎国際アートセンター(KIAC)は舞台芸術に特化した日本唯一のAIR施設として、2014年に1400年続く温泉街にオープン。滞在アーティストは24時間自由に活動でき、滞在期間中の宿泊費・施設利用費は無料。年1度の公募を行い、選考委員にて滞在アーティストを決定している。2018年度の公募では23カ国、94団体から応募があり、創作に集中できる魅力的な環境は世界的に注目を集めている(※2017年度は20団体が採択)。このような施設が人口約3,500人の街に生まれたきっかけとは何だろうか?実はKIACの建物、もともとは兵庫県立城崎大会議館という城崎に来る団体客向けのホールとして1983年に建てられたキャパ1,000のホールを持つコンベンションセンターだったそう。ところが時代の流れとともに2000年代には年間20日間程度の稼働率に…。そのような状況で、この施設が兵庫県から豊岡市へ移譲。年間1800万円の施設維持費がかかるこのホールをどのように維持して行くのかを検討し、ホールだけではなく、新しい人の流れを生んで街全体で稼ごうということになった。そして、それならば、情報発信力があったり、社会的な影響力があったり、新しい考え方をしている人たち、つまりアーティストに来て欲しいということで、ホール・スタジオ・レジデンス他が完備された、KIACが誕生したのだ。
滞在アーティストが行う市民に対してのワークショップや公開リハーサル、学校へのアウトリーチといった地域交流プログラムにより、徐々にKIACも街の一部であると認識されるようになってきたという。世界のアーティストが滞在し創作する街はいくつもない。そんな魅力的な街であることを城崎・豊岡で生まれ育つ子供たちへ伝えていくことはふるさと教育にもなる。
城崎は温泉地ということでもともとが人をもてなす、受け入れる土壌がある。ご年配の方が滞在アーティストのことを「アートさん」と呼んでいるという田口さんのお話にほっこりした。
◉城崎国際アートセンターwebサイト http://kiac.jp/
【金沢:黒田裕子】金沢21世紀美術館交流課プログラム・ディレクター/コーディネーター
「金沢(カナザワ)の周縁(フリンジ)にこそ面白いことがある!」と、2014年より、金沢21世紀美術館を飛び出し立ち上げられた「カナザワ・フリンジ」。アーティストが金沢に滞在しインスピレーションを得て、金沢を巻き込みながら制作するということで、1年目はリサーチ、2年目はクリエイションという2年サイクルの開催になっている。大事にされているのは、既存のものを持ってくるようなフェスティバルではなく、根っこからつくること。金沢は伝統工芸の国宝級の方が日本で一番多いなど、モノベースで豊かなことはたくさんある一方で、コトベースが少し弱いところがある。そこで、現代社会から生み出される生々しいライブアートを提案していきたい。しかも周縁を探ることによって、ニッチなもの、見落としているもの、触れにくいものをテーマに作品をつくってもらいたいと思っているそう。
そして、2回目である、2016〜2017年に新しく取り組まれているのは美術館がアーティストを選出して、インディペンデントのディレクターに委託するような形ではなく、コンセプトは共有しつつ、ディレクターそれぞれが企画を立てること。これも創造的な循環スパイラルを生み、金沢が創造の拠点となることへの試みだ。美術館は現在13年目で認知度が上がり、地域との信頼関係もできてきた。相談しやすい環境、人のネットワークもあり、クリエイションができる環境が揃っているという。カナザワ・フリンジは、街中にあるギャラリーなど様々な場所で、自転車で走り回れるような規模感で行われる。それは、美術館に来てくださいと言っているだけではなく外に出ていくこと、それによってコミュニティが生まれることに繋がっている。黒田さんにお話いただいたのは、クリエイションの年。まさに「コト」が生成していく途中の段階を垣間見ることができた。
◉カナザワ・フリンジwebサイト https://www.kanazawa-fringe.com/
プログラム第2部 これからの松山でのAIRを探る
1.これまでの松山のアートプロジェクトを紹介
【松山:徳永高志】NPO法人クオリティアンドコミュニケーションオブアーツ(通称QaCoA)理事長
徳永さんのお話は、松山では公立文化施設の自主事業がとても少なく、松山のアート事情は全国的なレベルでは話すことがほとんどない、という厳しい発言からはじまった。とはいうものの、まずご紹介いただいたのは2014年に行われた「道後オンセナート2014」。ライゾマティクス、草間彌生さん、森山開次さん、ジャン・リュック・ヴィルムートさんといったアーティストが参加した大規模なアートプロジェクトだ。これは、道後温泉本館が改築120周年の大還暦を迎えたことを記念して、また宿泊観光客の増加、地域の魅力づくりのために開催された。実行委員会形式だが9割は松山市役所が出資。宿泊客数を5万人増やす、少なくとも5%増やすというハードルが実行委員会には課せられたが、結果的には7万人増えたという。観光客が大幅に増加したことで、旅行業界からの高い評価も得た。1億5千万円(18ヶ月)の投資に対して純粋な経済効果が25億円超。地元の人たちからも「日曜の晩にあんなに人が集まったことはない、毎週やってくれたらよいのに」との声があったという。そして、2015年は蜷川実花さんを、2016年は山口晃さんをメインアーティストに継続開催された。
しかし、こんな大規模な事業は市の管轄でやるようなもの、継続的な部分というのは地域の文化施設が担うものと徳永さんからは苦言が。三陸は違うが、城崎国際アートセンターが担う、金沢21世紀美術館が担う、八戸市も行政ないしは八戸ポータルミュージアム(はっち)が担っている。そうではない松山で何ができるのか悩み、とにかく中間支援をするということで2004年に徳永さんが立ち上げられたのがNPO法人QaCoA(カコア)だった。
松山の民間施設の活動については、コンテンポラリーダンスが盛んな松山に1998年にオープンした「dance studio MOGA」で、2015年に森山未來さんとイスラエル人アーティストのエラ・ホチルドさんが内子座で1ヶ月間の滞在制作をした際に、ワークショップを行ってもらったこと、演劇を中心に年間20本程度の自主事業を実施する小劇場「シアターねこ」では、国際演劇交流セミナーなどの活動を行っていることをご紹介いただいた。松山では民間ベースでこういった事業が行われていることから、AIRの価値と効用の広報、公共的な拠点との継続的な連携をと締めくくられた。
2. パネリスト・参加者を交えて、松山での未来のAIRを考える
続いては席を円形に組み直しての質疑応答。「一般の人々の反応は?」「プロジェクトを実施した結果どう市民が変化したか?」「地域でアートプロジェクトを行うに際し、反対が起きたり理解してもらえない場合、どうやって実行するのか?」など、地域の人たちがどう受け止めるのかということに問いが集中した。
田口さんからは、学校と結びついた事業や、子供連れをターゲットにした自主事業・ワークショップといったアートと地域の接続の方法をご紹介いただいた。また、城崎国際アートセンターに最初から関わっている佐東からは、イギリスから振付家のルカ・シルヴェストリーニさんを招聘し、総勢80人くらいが出演するコミュニティダンスをつくり、400〜500人の地元の人たちが見に来てくれた。地元の人が自分たちのアートセンターだと思うようになってから変わったと付け加えられた。豊岡では小中学校での演劇の授業が今年から全校展開された。これも今後地域の人たちに影響を与えていくに違いないだろう。
大澤さんからは、プロジェクトを行う中で、貸してもらったり助けてもらったりを借りっぱなしにせず、必ずお礼をする。そして、また次も貸してもらうという関係を続けていく中で、いいなと思ってくれる人を握手して増やしていくという、コツコツと関係性を築いていくことの大切さが語られた。
黒田さんからは、21美は観光客が押し寄せ、地元の人が寄り付かなくなっている。カナザワ・フリンジに関わっている人の中には美術館に足を踏み入れたことがないという人もいるが、カナザワ・フリンジをきっかけに足を運んでみたとか、親近感が持てたという意見も聞くようになったと、AIRの効果をお話いただいた。
ファシリテーターの徳永さんは、地域の物語の物語や、地域のあったかもしれない物語、新たにつくったものも含めて物語というものに外からのアーティストが必ず関わっている。実はパネリストの方々もその地域のご出身ではない、もしくは一度出られて戻られているということから、他者が地域を再発見するという「他者性」の重要さについて言及された。
最後は、会場の皆さんからお話・ご意見をざっくばらんに伺った。
参加してくださったのは、ダンサー、映像作家、アーティスト、行政の方(松山市や周辺の市役所の方々)、企画制作、プロデューサー、オーガナイザー、音楽に関わる人たちのためのシェアハウス経営者、農家、映画の自主上映会をされている方…といった多様な方々。パネリストの大澤さんからは、こういうメンバーがこんなに集まることはないので羨ましいとの声。
愛媛を拠点に活動されているダンスカンパニーyummydanceから、「愛媛以外でAIRを行う機会が多いが、自分たちの拠点である此処でどういう風に活動していけばよいのか考える機会になった。松山で、自治体や行政の方とタッグを組んで、地域の人と何か面白いことをやりたいと思っている。」という意見が出ると、会場にいらっしゃった行政の方からは、「行政から働きかけをしないということはないかなと思います。何かあったらよろしくお願いします。」と返答が。
ファシリテーターの水野からは、「イベントがあるときに出演してくださいということではなく、もやもやとしたアイデアの段階から、中間支援のNPOや、アーティスト本人、企画者という民間の人たちと、行政の人がミーティングをしながらどうしたらいいんだろうと考えていく関係性があればいいのでは」と、形になる前段階からの関係性が提案された。
さらに、「コンテンポラリーダンスに関して言えば、見たことがない人が多いので、まず見てもらわないと何も始まらない。現場との差がある。」と会場から意見も。しかし、松山はコンテンポラリーダンスが盛んで、かつては先進的なプロジェクトもあった。それがノウハウとして残っていないという問題もあるそうだ。
それに対して、大澤さんからは、「行政の仕組みとして2、3年に1度移動があるので、彼らにノウハウやアートの知識をストックするのは無理がある。行政の人にオススメしたいのは、アートの専門知識やネットワークをストックできる人を雇うこと。もしくは、みなさんが専門知識を持ち、行政はそれを動かしていくという行政のプロをやればよいのでは」という助言があった。
ただ、専門家を雇うには根拠が必要で、まずはそこからスタートしなくてはならないという難しさもあるという一面も…。
アニメーション作家の山内知江子さんからは作品をつくる立場からの意見として、AIRは地域の活性を目標にしているところがあるが、アーティストとしてそれを踏まえて作品をつくることの難しさが語られた。
田口さんからは、「城崎国際アートセンターはそういうことをアーティストに課しておらず、アーティストが地域の何かをしたいということであればコーディネートはする。アートセンターは純粋に作品をつくりにきてくださいと市長も腹をくくって運営しています。」と作品自体に干渉しない方法もあるということを教えていただいた。徳永さんからは、好きなようにつくりたいアーティストを中間支援組織が繋がないといけないですよね、と異なる視点からのコメント。
「未来の松山のAIRでこういうことがあるとよい、ぜひやってほしいということがあれば」という問いかけには、体の弱い子供がダンスのパフォーマンスに参加したことですごくエネルギーをもらった経験があるという女性から、子育てが落ち着いて自分でもそういった活動を行うようになったが、予算をとってくることの難しさがある。興行的な成功だけではない、芸術にチャレンジするような事業を市民の声やニーズとして届けるにはどうすればよいかという質問があった。
佐東からは、「相手の立場を理解するということが入り口のような気がする。なぜお金が出ないんだろう、それには理由がある。なぜお金が出るんだろう、それには理由がある。それを考えないと何も進まない。そのときに、たぶんアーティストは行政の人のパートナーになれる。今は時代が変わってきてダンスで食べている人が生まれてきている、つまり求められる時代に入ってきているということ。どうやったらパートナーになれるのかという視点を持つのは難しいなと思うんですけれども」とアーティストが行政の仕組みを理解することの重要性が語られた。
アーティストが行政の仕組みを理解すること、行政の方が個人の好みではなくアートの必要性について考えること、あるいは用いること。そして中間支援組織が人や土地を繋いでいくこと。そして、この地域にはどういった方法論が有効なのかを検討することなど、長い道のりが待っていることは今回のフォーラムで話されたことで明白である。しかし、「ひとつ心強いのは、こんなに長いフォーラムに最後までおつきあいいただけたということが地域の資産だということははっきりしている」という徳永さんの締めの言葉は、松山のAIRの未来を予感させるに十分だと感じられた。
(レポート・テキスト:中山佐代/写真セレクト:水野立子)